その夜。僕とリディアは、同じベッドに入った。
窓の外には、薄い月が出ていた。カーテンの隙間から細い光が入り込んで、床板の上に白い筋を引いている。
「イルヴァ、もう少しそっち行って」
「これ以上行ったら落ちるよ」
「じゃあ、落ちないようにして」
「無理だよ」
いつもならここから言い合いが始まって、最後は二人とも笑いながら毛布を取り合うところだった。
でもその夜は、どちらもそれ以上は何も言わなかった。
少しだけ間があって、僕は聞いた。
「……腕、痛くない?」
「……ちょっと」
「壁側にする?」
「ううん。こっちでいい」
リディアは包帯を巻いた腕を胸の上にそっと載せて天井を向いた。僕も同じように天井を向く。
暗い部屋の中。肩と肩がほんの少し触れている。毛布の中でリディアの体温が、じんわりと伝わってきた。
隣から小さな息の音が聞こえる。最初は細くてぎこちなかった。息を顰めているみたいな、浅い息。それが暫くすると、ゆっくりとした長い息に変わっていった。
僕も目を閉じた。誰かの息の音がする部屋は、こんなに温かいんだと思った。
昨日の夜は、あんなに長かったのに。今夜は少しだけ短くなった気がした。
*
翌朝。目を覚ますと、カーテンの向こうが薄く明るくなっていた。
小鳥の声が、どこか遠くで聞こえる。台所の方から、薪の爆ぜる音とパンの焼ける匂いが微かに漂ってくる。
隣には、リディアがまだ眠っていた。お泊まりの時は、僕より早く起きていることも多い。けれど今日は疲れが出たのか、身じろぎもせず静かに眠っている。頬に、髪がひと筋、かかっていた。
僕の寝間着の袖を、リディアの指が、ほんの少し摘んでいた。
眠っている間に、無意識にそうしたのだろう。指先は軽く曲がっているだけで、力はほとんど入っていない。それなのに、動かしたら、その手がほどけてしまいそうで、僕は起き上がれなかった。
しばらく、そのまま天井を見ていた。天井の木目を、目でなぞる。
そうしていないと、昨日のことが、勝手に浮かんできそうだった。
でも、浮かんできた。魔物の、黄色い目。爪。血。赤黒い地面。
鼻の奥に、あの鉄の臭いが、よみがえる。壁に広がった赤い跡。動かなかった人たち。
そして、並んで横たわっていた、リディアの――。
胸の奥が、ずしりと重くなった。息が、浅くなる。
僕は、隣を見た。リディアの胸が、毛布の下で、ゆっくり上下している。すう、すう、と小さな音がする。
生きている。ここにいる。夜が明けても、隣にいる。
僕は、袖をつまんでいる指を、そっとほどいた。起こさないように、ゆっくり、ゆっくり。指が離れるとき、リディアの眉が、ほんの少しだけ動いた。でも、目は覚まさなかった。
ベッドから降りて、静かに部屋を出る。
「おはよう、イルヴァ」
台所では、母さんが朝食の準備をしていた。
「おはよう」
「リディアは?」
「まだ寝てる」
「そう。じゃあ、起きてからでいいわ」
母さんは、それ以上何も言わなかった。
僕も何も言わなかった。
窓から差し込む朝の光が、卓の木目を白く照らしている。四枚目の皿が、もう当たり前みたいに、そこに並んでいた。
朝食ができる頃、リディアが起きてきた。髪が、あちこち跳ねている。目をこすりながら、廊下の壁に手をついて、ゆっくり歩いてくる。
「おはよう」
「おはよう、リディア」
「……お腹空いた」
その言葉に、僕は少し驚いた。
昨日まで、リディアは、ほとんど何も食べていなかったからだ。スープの豆をひとつ転がして、パンを少しちぎっては置いて。母さんが何を勧めても、首を横に振っていた。
母さんが、鍋をかき混ぜる手を、一瞬だけ止めた。
それから、何でもないことのように言った。
「たくさん食べなさい」
「うん」
リディアは椅子に座った。
そして、いつもより少しだけ多く、朝食を食べた。パンを、一切れ半。スープを、器の底が見えるまで。
それだけのことだった。僕は、なるべく見ないようにしながら、横目でその様子を追った。バターの器を、リディアのほうへ、こっそり押しやる。
それだけのことなのに、胸の中が、ぽっと温かくなった。
母さんの背中は、こちらを向いていないのに、笑っているのが分かった。
*
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