その日の昼。父さんは、村の復旧作業に出かけていた。母さんも、炊き出しの手伝いに行っている。
家にいるのは、僕とリディアだけだった。
家の中は、しんとしていた。窓の外から、槌を打つ音が響いてくる。荷車の車輪が軋む音。誰かの掛け声。遠くで、木材が崩れて落ちる乾いた音。
「暇だね」
僕が言う。
「うん」
リディアは、窓の外を見ていた。
窓から見える村は、まだ壊れたままだった。屋根のなくなった家。崩れた壁。瓦礫の山。黒く焦げた柱が、空に向かって何本か突き立っている。その間を、大人たちが荷を担いで行き来していた。
なのに空だけは、いつもと同じ、澄んだ色をしていた。
それが、少しだけずるいような気がした。
暫くして、僕は思いついた。
「じゃあ、魔法の練習する?」
リディアが、僕を見る。
「魔法?」
「うん」
「……」
少し迷うように、窓の外へ視線を戻して、もう一度、僕を見た。
「……いい」
小さな声だった。でも、立ち上がる動きは、ちゃんと前を向いていた。
僕たちは、家の裏へ出た。
井戸のそばの、少し開けた空き地。洗濯用の桶が、逆さに伏せて干してある。地面には、朝露の名残が、まだ少し残っていた。
僕は、手を前に伸ばした。
「見てて」
目を閉じる。右手が、ほんの少し汗ばんでいた。
あの日、この手は、何も守れなかった。魔法陣を描くのも遅く、火は外れて、頭の中は真っ白だった。
もし、また、出なかったら。
そんな考えが、一瞬だけ、胸の奥をかすめた。
でも、僕は息を吸った。
僕は魔力を探る。
……ある。
静かで、冷たくて、澄んでいる。
そこから、細い流れを、すくい上げる。胸の奥から、腕へ。腕から、手首へ。ひやりとしたものが、血のかわりに身体を巡って、指先へ集まっていく。指の先が、しんと冷たくなった。
「……水。水」
手のひらの上の空気が、ふっと湿った。
光が集まる。透明な粒が、ひとつ、ふたつ、宙に生まれて、寄り添って、丸くなる。手のひらの上に、小さな水の塊が浮かんだ。陽を受けて、中で細かな光が揺れている。
それが、ぽんと、手から飛び出して。
ぽちゃん。地面に落ちて、土の色を、丸く暗くした。水の跳ねる音が、空き地に、ひとつだけ響いた。
「できた」
……出た。
ちゃんと、出た。
胸の奥で固く縮んでいたものが、少しだけほどけた。
「うん」
リディアが、少しだけ笑った。
「前より大きくなったね」
「本当?」
思わず、声が跳ねた。
「多分……」
「そこは本当って言ってよ」
「じゃあほんと」
リディアが頷く。
僕は、自然と笑ってた。
あの日から初めて、魔法を、ただ嬉しいと思えた。
いつかこの水が、誰かを守れるくらい大きくなればいい。ふと、そんなことも思った。でもそれは、水の粒みたいにすぐに丸く消えて、あとには嬉しさだけが残った。
「じゃあ、もっと大きくしてみる」
「無理しないほうがいいよ」
「大丈夫」
もう一度、魔力を集める。
今度は、さっきよりずっと大きな水が生まれた。掌から零れそうなくらいの、水の玉。ゆらゆらと、光を抱いている。
けれど、形を保てない。縁のところから、ぶるぶると震えて。
ばしゃ。崩れて、足もとに水が飛び散った。
「……失敗した」
「でも、さっきより大きかった」
リディアが、頷く。
「少しずつ上手くなってる」
濡れた靴のつま先を見て、僕は笑った。
「少しずつ」という言葉が、胸の中に、ことんと落ちて残った。
「じゃあ、リディアもやってみる?」
「私?」
「うん」
僕は、リディアに魔法を教えようとした。
「最初は、身体の真ん中に、あったかいところがないか、探すんだ。そこから、こう、指の先まで」
「こう?」
リディアは、右手を前へ伸ばしたまま、目を閉じて、じっと動かない。眉の間に、小さな皺が寄る。
けれど、いつまで経っても、指先には何も現れなかった。
「……前はちょっとは出たのに」
「僕だって最初はできなかったよ」
「なんだか、自分だけの力で上手くなったみたいな言い方」
少し意地悪な言い方だった。
たぶん、上手くできないのが悔しかったんだと思う。唇がちょっとだけとがっている。
でも、その言葉を聞いて、僕はお姉さんのことを思い出した。
胸に触れた指先。流れ込んできた、あの熱。胸の奥が、ほんの少しだけざわっとした。
だからそれを振り払うみたいに胸を張った。
「でも、もう僕のだし」
「私だって、その人に会ってれば……よーし! 見てて」
リディアがもう一度、手を伸ばす。
空き地に、風が通り抜けた。洗濯桶の縁に残った水滴が、きらりと光る。
リディアが、息を止める。
すると――指先から、ほんの少しだけ水が滲み出た。
一粒。陽の光を受けて、小さく、まるく光って。
すぐに、消えた。
「出た!」
「出たね」
僕たちは、顔を見合わせた。
リディアの目が、大きく開いている。頬が、ほんのり赤い。
そして、二人で笑った。ほんの少しだけ。
それでも、昨日より自然に。
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