それから僕たちは、日が傾くまで木の下で過ごした。
おしゃべりをして。昼寝をして。近くの川まで走っていって、水面に石を投げて、何回跳ねたかで揉めて。
帰り道では、道端に赤い木の実を見つけて、どちらがたくさん採れるか競争した。夢中になっているうちに、気づけば二人とも、服は泥と木の実の汁だらけだった。
当然、家に帰ると母さんに叱られた。
「また二人で泥だらけになったの?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃないでしょう」
母さんが呆れた顔で眉を寄せる。
「ごめんなさい」
「リディアは謝らなくていいのよ。どうせイルヴァが調子に乗ったんでしょう?」
「なんで僕だけ?」
父さんが吹き出した。それにつられて、僕もリディアも笑った。
「二人共お風呂に入って来なさい」
「はーい」
お風呂から上がると今日はリディアも一緒に夕食を食べた。僕がリディアの家で食べることもあるけど、どっちの夕食も美味しい。
湯気の立つ野菜スープと、焼きたてのパンの匂いと、みんなの笑い声――そんな一日だった。特別なことなんて、何もない。剣の稽古をして、魔法の練習をして、遊んで、一緒にご飯を食べて。明日もまた会う。
それだけ。それだけの、一日だった。
その夜、僕は布団に入るとすぐに眠った。すごく良い一日に満たされながらぐっすりと。
*
翌朝。
「今日は父さんとの稽古があるから」
家に行くとリディアが言った。
「そっか」
「イルヴァは?」
「僕は魔法の練習」
「また木のところ?」
「うん」
「じゃあ、また後でね」
「うん。また後で」
だから僕は一人で、反対の道を歩き出す。向かう先は、昨日と同じ大きな木。
今日は、僕ひとりだ。足音がひとつぶんしかしなくて、道が少しだけ広く、静かに感じた。
木の下に着いて、昨日と同じ場所に座る。風が吹いている。枝がさわさわと鳴った。
手を前へ出して、魔力を集める。
ぽっ、っと小さな炎が灯った。昨日より、ほんの少しだけ大きい気がする。
「……よし」
誰も見ていないのに、頬が緩んだ。もう一度やろうとして、ふと顔を上げる。
何かがいる。木の反対側。昨日までは、何もなかったはずの場所。
草の上に、一人の女性が横になっていた。見たことのない人だった。
長い髪が草の上に川みたいに広がっている。両腕を枕にして、脚を無造作に投げ出して、まるでここが自分の寝床だとでもいうように。
僕は炎を消した。息を潜めて、そっと近づく。草を踏む音がやけに大きく聞こえた。
眠っているのだろうか。しゃがみ込んで、顔を覗き込む。木漏れ日を浴びる静かな寝顔が見えた。
どんな人なんだろう。そんなことを考えながら、もう少しだけ顔を近づけた。
「寝込みでも襲おうとしてるのかな?」
「――っ!」
飛び退いた。尻餅をつきかけて、慌てて手をつく。心臓が喉の奥まで跳ね上がっていた。
女性を見る。まだ、目は閉じたままだ。
「……え?」
今、喋った? 聞き間違いかと思いつつ顔を覗き込む。
すると女性の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。まっすぐ僕を見る。目が合い、息が止まった。
彼女は暫く僕を見つめていたけれど、やがて口元に小さな笑みを浮かべた。
「夜這いでもするつもりかい? ませた坊やだね」
「よば……? なにそれ?」
知らない言葉に僕は首を傾げた。
女性は、心底おかしそうに笑った。
「まぁいいよ」
そう言って彼女は身体を起こす。長い髪が草の上をさらさらと流れた。
近くで見ると、村の誰にも似ていない人だった。服も、髪も、雰囲気も。何よりただそこにいるだけで、肌の上がひりつくような妙な圧がある。
でも、怖いだけじゃなかった。なんだか絵本から抜け出してきたみたいだ。
僕は少し距離を取ったまま聞いた。
「……お姉さん、誰?」
「お姉さん?」
彼女はわずかに目を細めた。
「ふふ。いい呼び方だね」
「違うの?」
「いや。そう呼んでくれていいよ」
お姉さんは笑った。
「君は?」
「イルヴァ」
「イルヴァか」
名前を舌の上で確かめるように呟いてから、お姉さんは僕を見た。
「一人で何をしてたの?」
「魔法の練習」
「へぇ」
お姉さんの視線が、僕の手へ落ちる。さっきまで炎を灯していた右手。
「見せて」
「え?」
「魔法」
「……いいけど」
少し迷った。でも、魔法のことなら聞いてみたいことがたくさんあった。遠くから来た人みたいだし、もしかしたらすごい魔法を使える人なのかもしれない。
もう一度、手を前へ出す。魔力を集める。さっきより、少し時間をかけて。
ぽっ、と小さな炎が灯った。
お姉さんは、それをじっと見ていた。
「……なるほど」
「どう?」
「小さいね」
「やっぱり?」
「うん」
あまりにも素直に言われて胸がちくりとした。
「でも」
お姉さんが炎へ指を近づける。
「悪くないよ」
「本当?」
「うん。ちゃんと魔力を動かせてる」
指先が炎に触れそうになる。その瞬間、炎がふるりと揺れた。まるでお姉さんの魔力に応えたみたいに。
「じゃあ、見せてあげようか」
「何を?」
「本当の魔法ってやつを、だよ」
お姉さんが片手を前へ出した。
その瞬間、空気が変わった。
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