「……本当?」
「うん」
お姉さんは笑った。
「君が欲しいならね」
「欲しい!」
迷う理由なんてなかった。
お姉さんは少しだけ目を細める。
「即答なんだね」
「だって強くなりたいから」
「そうか」
お姉さんは僕の胸元へ手を伸ばした。
「じゃあ、この力の代わりに――」
そこでお姉さんは一度、言葉を切った。
僕は首を傾げる。木の葉ひとつ動かなかった。
「君は何をくれる?」
「……何を?」
「そう」
お姉さんの指先が、僕の胸に触れた。
「私は力を君にあげられる。君は私に、何をくれるのかな?」
意味がよく分からなかった。
何かを貰ったら、何かを返す。それは分かる。父さんにも母さんにも、そう教わった。でも目の前のこの人に、僕が返せるものなんて……。
「僕まだ子どもだし、宝物もないし……」
考えて、考えて、考えて。
「あっ、花の冠なら作ってあげられるよ。僕上手いんだ」
お姉さんは、ふっと吹き出すように笑った。
「それじゃあ、ちょっと割に合わないかなぁ」
「でも僕には他に何も……」
俯いて悩んでいると、お姉さんはまた笑った。
「なら、いつかくれればいい」
「いつか?」
「そう。君が大きくなった時にでも。それでいいかい?」
「うん」
とても嬉しい気持ちだった。これから僕は、もっともっと強くなれる。いつかリディアを守ってあげられる。
そのことで頭が一杯で、僕は自分の手の平ばかり見ていた。だからお姉さんがどんな顔をしていたのかは、見ていなかった。
「さぁ。もう一度使ってみな」
お姉さんの手が離れる
僕は頷いて、手を前へ出す。魔力を集める。
すると今までとは比べものにならないほど、簡単に魔力が集まってきた。呼ぶまでもなく、向こうから寄ってくるみたいに。
魔法陣が浮かぶ。大きい。その中心へ、水が集まっていく。拳ほど。頭ほど。更に大きく。
「……すごい」
水の塊は、僕の身体よりも大きくなった。意識を向けると、ゆっくり空へ持ち上がる。
もっと。もっと高く。
魔力が、血のかわりに身体中を巡っているみたいだった。胸から腕へ、腕から指先へ。熱いのに澄んでいる。手の平の向こうで空気がびりびりと震えて、耳の奥では水の鳴る音が、遠い川の音みたいに低く唸っていた。
水が空へ昇っていく。
「すごい……!」
自然と笑いが零れた。
こんな魔法、初めてだった。自分の力では絶対にできなかった。でも今は、できる。
僕にも。出来るんだ。
「もっと……!」
嬉しくなって更に魔力を流す。
水が膨れ上がる。枝を覆いつくすほどの大きさになって、木漏れ日が遮られた。足元に水の色をした影が落ちる。見上げた首が痛いくらいなのに、目が離せない。
自分がこんな魔法を使えていることが、楽しくて、楽しくて、しょうがなかった。
「イルヴァ」
低く、静かな声だった。
それだけで浮かれていた頭に、すっと冷たいものが差した。
「そのくらいにしておいた方がいいよ」
「えっ?」
「まだ身体が慣れてない」
僕は言われた通り、魔法を止めた。
支えを失った水の塊が崩れる。どうっ、と地面が鳴った。大量の水が草を叩き、飛沫が足もとまで跳ねる。濡れた草の匂いがむせるほど立ち昇った。
「……はぁ、はぁ」
息が荒い。膝が少し笑っている。でも疲れているのとは、ちょっと違った。身体の中には、まだ力が残っている。いつもならとっくに魔力が尽きているはずなのに。
「すごい……」
自分の手を見た。まだ指先に熱の名残がある。
「僕、こんな魔法使えたんだ」
「新しい玩具に興奮する気持ちは分かる。でも、あんまり燥ぎ過ぎちゃいけないよ」
「僕、もっと強くなれる?」
「身体と技術。自分に足りないものをしっかりと見極めるんだ。そして経験を積めばね」
「うん! ありがとう、お姉さん!」
お姉さんは太陽のように優しい笑みを浮かべて、僕の頭を撫でた。髪を梳くように動いた手が、ゆっくりと頬へ滑る。
そしてお姉さんの顔が近づいた。頬に柔らかな感触が触れる。ほんの一瞬だった。甘い果実のような匂いがした。
僕はそれを知ってる。母さんが毎晩寝る前に、おでこに優しくしてくれるのと同じだ。
「じゃあ、またね」
「うん! またね!」
お姉さんは立ち上がると、歩き出した。僕は手を振る。けれどお姉さんは一度も振り返らなかった。長い髪を揺らして、草原をまっすぐに遠ざかっていく。
止んでいた風が、いつの間にか戻っていた。草が波打つ。枝がさわさわと鳴る。世界の音が、ゆっくりと元に戻ってくる。
僕は手を下ろすのも忘れて、暫くその背中を見送っていた。頬にはまだ、柔らかな感触が残っていた。
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